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Atelier in the Green

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気ままに綴るあれこれ日記

明治生まれのピアノの先生

私が小学生から高校生まで、10年近く習っていたピアノの先生は
徳山寿子先生という方で、御存命だったら100歳は超えていらっしゃる
明治生まれの気骨あるおばあさん先生でした。

断髪にした髪は黒く染め、
スレンダーな体形が、さらにスリムに見えるノースリのワンピを着こなし
煙草をくゆらすモガそのものでした。
戦中に亡くなられた先生のご主人様(徳山璉)は、
昭和初期~戦中に活躍した流行歌手(もともとはバリトン歌手)でした。


幼いころは、近所のピアノの先生についてレッスンをうけていましたが、
ある日、母に連れられ、目白にお住まいの先生のお宅で
週二回(楽理論、実技)のレッスンに通うことになりました。
先生は、母の恩師でした。

実技のレッスンは、とても厳しく、小学生の私には耐えられず
夕闇迫る目白駅までの帰り道、すれ違う人に泣いているのを見られたくなく
自分の靴を見るほどに下を向き、涙をポタポタ落としながら
歩いたことも何度もありました。
もちろん、それは努力と練習の足りない生徒だったからです。
私は、本当に落ちこぼれの劣等生だったのです。

でも、何故か母にやめたいと泣きついたことは一度もありませんでした。
ピアノが好きだったし
子供心にも、この先生はフツーの先生とは違う・・・。
頑張ってついていこうと思っていたのかもしれません。(スポ根に近いものがあったかな?)


ほかの生徒さんが、先生のレッスンをどう感じていらしたのかは
今では知る由もありませんが、
つい先日、偶然にも坂本龍一が、先生のことを語っている新聞の記事を読みました。

世代は違いますが、彼も徳山先生の門下生でした。
作曲の道に進んだきっかけは、先生の勧めがあったようです。

小学生の頃には、ただただ怖くて厳しい先生という印象でしたが、
中学生、高校生になってくると
教育者としての器の大きさ、音楽に対する情熱と深い造詣を感じるようになりました。

もっといろいろなお話を伺いたかったと思います。

そして、入門当時まだ小さかった私に優しくしてくれた
門下生の高校生のお姉さんたちを懐かしく思い出します。
昭和40年代・・・・
学生運動の高まりの中、世相は騒然としていましたが、
市井の人々の暮らしは、どこかまだのんびりとした時代でした。

今、音楽を身近に感じ、楽しむことができるのは、徳山寿子先生のおかげです。
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by poco_a_poco_2008 | 2009-04-16 09:36 | 音楽 | Comments(29)
Commented by まゆクー at 2009-04-18 16:41 x
明治生まれの方って、一本筋が通った気骨のある方が多いですよね。

すごい先生に習っていたのですね。貴重な経験でしたね。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2009-04-18 18:37
御存命の明治生まれの方は、一番お若くても100歳近くになりますね。
昔のお話を伺う機会がだんだん減ってしまい、さみしい限りです。

余談ですが、夫の父方の祖父(明治27年生まれ)も「気骨あるおじいさん」だったのは、間違いありませんが、
家族も知らないことがたくさんある謎のおじいさんです(笑)
連れ合いの祖母も、明治時代の最先端を突っ走っていると、自慢している猛女だったそうです(笑)
祖父も没後20数年たちますが、遺族も知らない祖父のいろいろなことを
古書などで調べてくれている愛好家のかたがいらして、
その方のブログを読むのが私の楽しみなんです♪
Commented at 2010-05-11 23:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-05-12 08:53
私の拙い記事が、鍵コメ様のお目にとまった事、
そしてまたコメントをいただいた事に、
大変驚き、また、とてもとても感激しております。
ワタシ的には「あり得ない奇跡」とでも申しましょうか・・・(^^ゞ
ありがとうございます。

さて、お尋ねの件ですが、私も詳しいことはわからないので
心当たりを調べて、またあらためてご連絡いたします。
ちなみに先生のお住まいは、残念ながら今はなくなり
私道を含めた跡地一体は、駐車場になっています。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-05-14 13:14
鍵コメのS様、メールいたしました。
Commented by suntorina at 2010-06-14 07:57 x
果たしてこんな過去ログがお目に留まるのかどうか?徳山寿子で検索して、poco様のブログがヒットした次第です。
実は、2010年6月12日、大学時代のクラス会があり、18人集まりました。みんな70歳でしたよ(笑)。私を含めて3人が、徳山先生にピアノを習っていたという共通点があるのです。目白近くの、ある女子大の学生でしたから。かといって、学んでいた学科は、ピアのからはほど遠かったのですが。しばし、先生のことで盛り上がったのですが、K子さんは、あなたと同じことを言っていました。「厳しく叱られて、涙顔では、バスに乗って帰ることができなかった」と。そのK子さん、その後娘さんをも、徳山先生のもとに通わせたとか。
私は地方住まいになりましたので、娘を通わせることはかないませんでしたが、わずか3年くらいだけれど、徳山先生にピアノの基礎を教えていただいたことは、その後の宝です。真っ黒い「グル」というわんこがいたのを覚えていますが、あなたのころはどうだったか。
これを機会に、ブログを初めから読ませていただいています。素敵な暮らしぶりと、お人柄が偲ばれます。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-06-14 10:24
徳山先生の記事にコメントをいただきました事に感謝申し上げます。
先月も門下生で今はNYにお住まいの方からご連絡をいただきました。一年以上も前の記事が世間様のお目にふれるとは・・と、あらためてネットの力の凄さに驚いております。
私がレッスンに通っておりました時も黒いワンコは、ヨロヨロと歩きながらも健在でした(笑)先日、お宅に30年ぶりに伺い、グルの話にもなりました。「本当におとなしい犬だったけれど、老犬になってからはみんなからは、くさい!くさい!と嫌われてね~(笑)」と、ご子息がお話しをされていました。レッスンの部屋に飾ってあった婦人像の絵を覚えていらっしゃいますか?モディリアーニのような絵でした。
あの絵のモデルは寿子先生なんだろうな~とは思っていましたが、先日、ご主人の璉氏が描かれた先生の肖像画とお聞きしました。早く亡くなったご主人さまのことをあまり良くおっしゃらない先生でしたが(勝手に突然死んじゃって!みたいことをよく話していました)ずっとおそばに置いていらしたんだと、知りました。
あの絵は、今もご子息の居間に飾られています。



Commented by Kat at 2010-09-25 23:08 x
初めまして。経緯はsuntorina様に同じです。
私も徳山先生に習いました!
元々母親が通っており、私(32♂)自身は武蔵境から目白に小1~小5まで通っておりました。良い意味で厳しかったのを覚えております。
先生が子供の私に分かり易くする為に、全休符の事をぶる下がりお羊羹と言ったり、2分休符の事を3線ぶる下がりお羊羹と言ったりしていたのを思い出します。
ガーデニングが好きな方で、毎回と言って良い程帰りに先生と母親と先生の家の庭の植物とたわむれました。柿を食ベたり、ブルーベリーを食ベたり。先生に頂いたオモトは今や何株にも増えております。 続く
Commented by Kat at 2010-09-25 23:09 x
続き 
その他にも、毎回手作りのおもちゃや楽器等で子供の私の興味を引かせようとしていたのを覚えています。
先生とムソルグスキーの「展覧会の絵」を聞きに行きました。後は、チェンバロの音色を聞きに行ったり。確か他にも何かコンサートに行った気がするのですが思い出せません。
一時期、私の次の時間帯にスタンドの無いマウンテンバイクに乗ったお兄ちゃんが入れ違いだった気がします。
いつもけちょんけちょんに言われて帰るのですが、少し褒められた要素が有ったりすると、母親に褒美として目白駅に着く手前に有るマックに行かせてもらえました。そうでない時は隣の中華麺屋で食ベていました。
その他にも、白黒のTVが有ったり、一般家庭のはずなのにアサガオの便器が有ったり、井戸が有ったり。etc.  懐かしいな~
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-09-26 21:57
Kat様♪徳山先生の記事にコメントをいただきありがとうございます。
こうして思い出を語ってくださる方がいらしてくださるのは門下生としてとても嬉しく思います。
貴女様はまだお若いので、目白でレッスンを受けていらしたのは昭和60年前後からですね。25年ほど前になるのですね。
私は40年近く前の生徒です(^^ゞ)
以前にコメントをいただいたsuntorina様は、もっと前の時期になります。長くたくさんの生徒さんにレッスンをされていた先生の長い歴史を感じます。そういえばお庭に大きな井戸もありましたね。おトイレはあまり覚えていませんが(笑)お庭には大きな樹木が鬱蒼として、昼なお暗き・・・といったい印象がありましたが、ブルーベリーもあったのですね。
今思うと、古き良き時代の思い出深いお宅です。本当に懐かしいお話をありがとうございます。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-09-26 23:06
Kat様♪大変失礼いたしました。そそっかしい私をお許しくださいませ。
お母様に手をひかれてピアノのレッスンにいらっしゃるのは絶対「女の子!」と思いこんでおりました。ごめんなさい。
確かに「アサガオ」があるのを覚えていらっしゃるのは、BOYの証拠ですね!
そういえば、私のレッスンの時間帯にもお兄さん(高校生)がいらしてました。ピアノの上手な男性って素敵ですね♪

Commented by Kat at 2010-09-28 23:17 x
いえいえ。とんでもございません。
武蔵境からはるばる中央線、山手線と乗り継ぎ通っておりました。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-09-29 23:29
小さいお子さんにとっては、遠い道のりですね。
遊びたい年頃なのに、よく頑張られたと思います。
でもそれだけ素晴らしい先生だということをお母さまも、よくよくおわかりだったのですね。
Commented by kat at 2010-09-30 10:51 x
ところで、あの家はまだ有るのかご存じですか?
Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-09-30 14:08
お庭の大きな木々はなくなり、周りの印象はすっかり変わってしまいました。お住まいも新しい建物になっていますが、ご家族の皆様はおかわりなくお過ごしです。
Commented by PP at 2010-12-02 12:11 x
はじめまして。懐かしさから思わず涙があふれてしまいました。
35年ほど前の門下生です。
幼い娘がピアノに興味をもち、最近実家から運んで来た古いピアノに、今ではすっかりなまってしまった手で怖々さわる今日このごろです。
先生に聞かれたら、きっと、ぴしゃり!と叱責されそうですね。
置いてあった絵本や壁にかけてあったバリ風の人形。
わたしは、いつも「アンキ」の宿題が達成できず、何週も何週も同じ曲を弾いていました。しまいには、あなたの楽譜には書く色がもうありません!と叱られていましたっけ・・・(先生の書く色鉛筆の文字覚えていらっしゃいますか?)
小学校卒業まで泣いて通ったレッスンでしたが、本当に素敵な方でした。
poco_mama様の、ブログも素敵です♪また寄らせてください。

Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-12-02 12:46
PP様♪コメントいただきありがとうございます。また徳山先生のお弟子さんが、私の記事を見つけてブログにいらしてくださり・・・こんなに嬉しいことはありません。結婚のときに持参したマイ楽譜・・・あらためて見てみますと、私の楽譜も色とりどりの鉛筆で先生のお怒りのコメントが色あせることもなく、しっかり残っています(^^ゞ苦笑するばかりです。
そうえいば、お部屋の壁に木彫りのようなお人形が飾ってありましたね。一つ一つの記憶が、また蘇ってくるようです。
お部屋のドアの近くに生徒さんの予定が書き込んであるカレンダーがあって、そこにいつも大きな「爪切りが」あったのを覚えていらっしゃいますか?一度、レッスンの途中で先生に「爪が長い!」と怒られて、
半べそをかきながら、その場で爪を切ったことがあったような・・・・。
当時は、先生の厳しさで辛かったレッスンも、今となると、大変懐かしく愛おしい思い出で、胸がいっぱいです。
また、遊びにいらしてくださいませ。ありがとうございます。
Commented by hayachoh at 2010-12-05 18:29
はじめまして。
私は昭和37年から6年間、徳山先生にお世話になり、先生の薦めで音大に行きました。
先生は厳しかったけれど、真剣に生徒のことを考えてのことでしたので、泣きながらでもついていったのでしょうね。
ありがたかったと今でも感謝しています。
還暦を過ぎて、コーラスやピアノを楽しんだりして過ごせるのも
あの時に基礎をしっかり教えていただいたからだと思います。

グルという犬、お部屋にかざってあった絵画、青や赤でぎっしりと書かれた楽譜の先生の文字、昔がよみがえります。
先生が亡くなる一年前にお会いした時、短くなった色鉛筆をたくさん見せていただきました。

また、懐かしくなったらこちらに寄らせていただきます。

Commented by poco_a_poco_2008 at 2010-12-06 09:05
hayachoh様♪徳山寿子先生の記事にコメントをいただきありがとうございます。門下生の方々が先生を懐かしんでコメント欄に思い出を書いてくださり、嬉しい限りです。そうえいば、いつも先生がお使いになる色鉛筆は、どれも先生の手の中におさまるくらいのチビサイズばかりでした。先生は、力いっぱい楽譜に書きこみをされるから短いほうが使いやすかったのかもしれませんね。
目白通りから先生のお宅に行く道の角あたりに昔、ラーメン屋さんがあり、レッスンの帰り際、先生にしかられてショボンとしている私に「帰りにお母さんにラーメンを食べさせてもらいなさい、あそこのラーメンは美味しいわよ!」と元気づけていただく事もありました。泣いた日もあれば、少しだけほめられて足どりも軽く駅まで歩いた日もありました。どれもみな遠い昔の懐かしい思い出です。
hayachoh様のお写真の美しいブログも拝見させていただきますね。
Commented by ajiko at 2012-09-13 11:59 x
いまさらながらコメント失礼いたします。
私も徳山先生に3歳から小学校高学年まで習っておりました。年齢はKatさまと同じです。
先生の勧めで5歳から桐朋の音教に通い音大、ドイツ留学しましたが、音楽を断念しいまは会社員です。
先生は当時(30年近く前)でもうご高齢でしたが、厳しかったです、生徒の私にだけでなく後ろについてる母へのダメだしも覚えています。よく背中と手を叩かれたなぁ。そして、泣くとシャケ声になる、といわれ、それを譜面にかかれました。譜面は今でものこっています。
懐かしくてついコメントしてしまいましたが、門下生の方々の書き込みがあってさらに懐かしく、うれしくなりました。
poco様のブログに感謝です。
Commented by ajiko at 2012-09-13 12:22 x
連投すみません、
思い出がどんどん蘇ってきて、、
手洗い場が当時でもほとんど見ないひねる取っ手、蛇口ではない仕様だったのが印象的でした。お手洗いに行く廊下も薄暗くて怖かった。
レッスン部屋のお花の蜜をなめさせてくれたり、小学高学年になるとお相撲を一緒にテレビで見たり、飴玉をいつもくれたり、、
厳しいだけでなく生徒への愛もあふれた先生だったんだなぁ、としみじみ感じます。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2012-09-14 23:45
ajiko様♪ 徳山先生の記事にコメントいただきありがとうございます。
先生の門下生が、おひとり、またおひとりと、懐かしい思い出をつづってくださり、本当にうれしいです。

お小さい頃から、先生の元で、お母様とご一緒にレッスンに通われて
いらしたんですね。
親子で歩んだ音楽の道ですね。
長くご立派に研鑚をつまれて、素晴らしいです。
今は、ピアノから離れられているとのことですが、
これからも音楽は、どんな時でも寄り添ってくれると思います。
どうぞ、細く長く楽しんでください。

先生の思い出は、みなさん叱られたお話が多いですが、
晩年の生徒さんは、先生とお出かけされたり、
音楽以外の思い出もたくさんおありのようでうらやましいです。

先生のお宅の廊下は、突き当たりにお手洗いがありましたが、
暗くて、怖いイメージでしたね。
板張りで、冬は寒かった記憶があります。
あのお宅の雰囲気、お庭、ご家族、すべてが、また懐かしく思い出されます。
懐かしいお話を本当にありがとうございます。感謝でいっぱいです。



Commented by 榎本秀夫 at 2014-07-14 00:54 x
徳山寿子先生は私の母校(芝浦工大高校)の校歌の作曲者でした。かつて母校の音楽教師をされていて国語の大野先生が作詞をし、徳山先生が作曲されたそうです。私が入学したころは徳山先生のお弟子さんが音楽を担当されていました。レッスンはとても厳しかったと話されていました。私が3年の時には先生のお嬢さんが(といっても当時40代)音楽の先生として赴任されていました。徳山先生は杉野女子大の校歌も作曲されていました。両方とも素晴らしい曲です。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2014-07-14 23:14
榎本様
コメントをいただきありがとうございます。私の知る徳山先生の晩年は、ご自宅でのピアノ教室だけでしたが、
「戦後、子供たちを育てないといけなかったら、外に出て音楽に関わるいろんな仕事をしたわ」とお話されていました。
学校関係のお仕事は、もちろんですが、それ以外のお仕事のお話も伺ったような気もいたします。
校歌の作曲をされていたというお話は、榎本様のコメントで初めて知りました。
先生の作品が、校歌として後生に歌い続けられるなんて、素晴らしいですね。
一度機会がありましたら、是非、聞いてみたいです。
先生のお嬢様が、どちらかの学校で先生をされているというお話も伺った記憶があります。
音楽一家でいらしたんですね。







Commented at 2016-11-25 07:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by poco_a_poco_2008 at 2016-12-03 13:17
鍵コメ様
コメントありがとうございます、あらためてメールをさせていただきますね。
Commented by 寿子先生の弟の門下生 at 2017-01-28 09:50 x
徳山寿子。1902年大阪府生まれ。母は女医。東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)に入学
するが中退し、音楽学校に編入。コップなどを使った劇作楽器の演奏で活躍し、「徳
山寿子のキッチン楽団(坂本も参加)」はテレビ番組にも出演。高校の校歌の作曲
や、童謡の編曲も手がけた。また、「モガ」の先駆けとしてもメディアに登場してい
る。92年没。(坂本龍一『音楽は自由にする』)
Commented by poco_a_poco_2008 at 2017-01-28 23:25
寿子先生の弟の門下生様
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
お生まれは、1902年でいらしたんですね。没年は1992年ですか?
1987年かと思っていましたが・・・。(5年ほど差異がありますね。)
東京女子師範を退学になった経緯も、伺った記憶がございます。才気闊達で、お洒落な女性だったと思います。
音楽学校にうつられてから、ご主人様と出会うことになったのかな?と私は、勝手な想像をしておりますが、
そのあたりは、いかがだったのでしょうね。


Commented by poco_a_poco_2008 at 2017-01-29 12:06
寿子先生の弟の門下生様

先生の没年に関してですが、私の勘違いです。申し訳ありません。
平成4年、1992年で間違いはないと思います。
明治、大正、昭和、平成と4つの時代を音楽とともに
熱く歩んだ人生ですね。